更新頻度は低いですが、鉄道関係のニュースについて独自の視点で書かせていただきます。
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大阪環状線は、城東線・西成線・関西線のうち今宮~大正を経て西九条までの鉄道空白地帯を埋める形で建設されたものです。
大阪環状線が開通した当初は、西九条駅は高架駅と地上駅が混在する駅でした。
高架工事が完成したのは昭和39年3月22日、8時55分の西九条発外回り(西九条から弁天町・大正経由天王寺方面行き)から運転を開始したと言います。
交通技術39年6月から引用、切明工事が終わったのち暫くの間は、大阪市電西野田線は、玉川で元環状線の線路を走行したと記述されています。(大阪市電は1435mmですので改軌したのでしょうね)
環状線の路線を大阪市電が走ると言うのも中々貴重な画像ではないでしょうか。
ただ、いまとなっては場所が中々特定しにくいのですが、どの辺かわかる方おられましたら是非ご教示願います。
野田駅で撮影した方ならご存知であろうが、貨物線の横にアスファルト舗装された部分があるのに気付かれた方も多いでしょう。
かって、大阪中央市場まで線路が伸びていた跡なのです。
昭和6年に開通し、昭和60年に廃線になった路線です。
当時の大阪市場駅の写真を集めたページがありましたのでリンクを貼らせていただきました。
Railway Maniaxさんのサイトでごらにただけます。
上記ページの鐵路回顧録に大阪市場駅の写真がございます。
そして、本日の最後のお話は、淀川電車区と言う電車区がその昔あったと言うお話。
片町線四条畷 ~片町間で電車列車が運転開始になった際に、設置された電車区で貨物駅出会た淀川駅の隣に設けらた電車区で、大阪地区では最も古い電車区でした。片町線および、城東線・西成線(現在の大阪環状線の一部と桜島線)の車両基地として使われていましたが、1960(昭和35)年淀川電車区森ノ宮派出所として誕生、その後森ノ宮電車区に昇格してからはもっぱら片町線の電車区となりましたが、国鉄末期の1985(昭和60)年3月14日に閉鎖されてしまい、大阪一古い電車区はその姿を閉じることになりました。
現在は、淀川電車区があった跡地は