更新頻度は低いですが、鉄道関係のニュースについて独自の視点で書かせていただきます。
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違い見つけられましたか?
運転台下の緑の塗分け線が異なることに気付かれたかと思います。
下の写真が113系で、緑帯は斜めになっています。
それに対して115系は貫通ドアに一杯まで緑の塗装が行われています。
湘南色とそもそも呼ばれるようになったきっかけは、昭和25年3月1日から運転が開始されたミモハ80形を含む中距離電車(旧形国電は本来系列と言う概念がないが、理解しやすくするため以降は制御者を含めた80系と言う呼び方をします。) 東海道線東京~沼津間,湘南形電車運転開始 3/1
国鉄があった時代 昭和25年前半 80系電車が、オレンジと緑色の塗分けで誕生したからでした。 この色を湘南地区のミカンとその葉っぱの色としたと言われていましたが、後年、星晃氏の著書などでこれは全く後から付けた理由であって当時は取りあえず明るい色にしたいということで決まったのが緑とオレンジだったそうで、当初はもう少しオレンジも赤みがかっていたそうです。
その後現在の湘南色と呼ばれる色に落ち着いたと言われています。
試運転中に火災事故を起こし、「遭難電車」と言うありがたくないニックネームを付けられたものの、その後の利用は順調で、昭和25年後半からは2枚窓のタイプが製造されさらに、その人気は他の私鉄も真似するほどでした。
写真はクハ86-300番台全金属車
このスタイルは、当時は大変人気だったらしく阪神や西鉄、名鉄などでもこの亜流と呼べるスタイルが多数誕生しました。
写真は、南海電車の11001系です。
スキャンの仕方が悪くて埃が取れていません。(T_T)
新聞記事でJR東日本の185系が引退するという記事が出ていたので少しだけ、思い出話などを語らせていただこうと思います。185系は、1981年(昭和56年)老朽化した153系急行電車(東海形)と呼ばれた電車の置換え用として計画されました。
ここでは、簡単に185系電車の誕生までの経緯などを書いていこうと思います。
画像 Wikipedia
JR東日本が、旧国鉄時代に製造した車両185系を、東京と静岡県の伊豆半島を結ぶ特急「踊り子」から数年以内に退役させる方針を固めたことが8日、分かった。老朽化したため。185系の退役でJR東が定期運用する特急列車から国鉄時代に造った車両が消え、1日に30周年を迎えたJRの発足後に登場した車両に統一される。
踊り子は伊豆半島にある人気観光地の伊豆急下田、修善寺までそれぞれ走っており、車両の置きかえで旅行者の利用促進を狙う。後継車両には、中央線の主に新宿(東京)-松本(長野県)間を走る特急「あずさ」や新宿-甲府間などの「かいじ」に使っているE257系を転用。(共同)
ニュースサイトで読む: https://mainichi.jp/articles/20170408/k00/00e/020/316000c#csidxe9bc88e68463166aebcc013e91b6c73Copyright 毎日新聞