新聞記事でJR東日本の185系が引退するという記事が出ていたので少しだけ、思い出話などを語らせていただこうと思います。185系は、1981年(昭和56年)老朽化した153系急行電車(東海形)と呼ばれた電車の置換え用として計画されました。
ここでは、簡単に185系電車の誕生までの経緯などを書いていこうと思います。

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JR東日本が、旧国鉄時代に製造した車両185系を、東京と静岡県の伊豆半島を結ぶ特急「踊り子」から数年以内に退役させる方針を固めたことが8日、分かった。老朽化したため。185系の退役でJR東が定期運用する特急列車から国鉄時代に造った車両が消え、1日に30周年を迎えたJRの発足後に登場した車両に統一される。
踊り子は伊豆半島にある人気観光地の伊豆急下田、修善寺までそれぞれ走っており、車両の置きかえで旅行者の利用促進を狙う。後継車両には、中央線の主に新宿(東京)-松本(長野県)間を走る特急「あずさ」や新宿-甲府間などの「かいじ」に使っているE257系を転用。(共同)
ニュースサイトで読む: https://mainichi.jp/articles/20170408/k00/00e/020/316000c#csidxe9bc88e68463166aebcc013e91b6c73
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185系電車の特徴
185系電車は、普通電車と特急電車の汎用と言うことから、従来の特急電車と大きく異なる点が多々あります。
まず、従来の特急電車は房総特急を除き長距離運転をするのが目的であり、ドアは片側に一つだけで、かつその幅は70cmと小さなものであり一人づつしか乗降できない程度の大きさでした。もちろん、車いすでの利用などは配慮されていません。
それは、特急列車と言うのは停車駅も少なく長距離利用客を出来るだけ早く目的に連れて行くことを目的としていたからです。
それが、185系では、両端にドアがありその幅も1mと大きなものでした。
この1mと言う大きさは今まで使っていた急行電車と同じドアの幅でありもっと遡れば80系電車と言われた電車と同じドア幅であり、普通電車としての利用を前提としていたことがここでもよくわかるかと思います。
また、特急電車は昭和33年の151系「特急こだま」時代から固定窓が貫かれており、例外的に特急ひびき、特急あまぎが例外的に窓が開く特急電車でしたがこれは元々準急用に計画された日光形(157系)を使ったからであり、当初から特急形と普通列車の兼用とはいえ特急形として計画された電車で窓が開く特急電車は185系のみと言えましょう。
さて、何故こんなことになったのでしょうか?
急行型で当初は計画されていた?
あまり、この点は書かれていないのですが、当初は急行電車の置換えですので当然のことながら急行置換用として計画されていました。 デビュー当初185系電車が転換クロスシートでかつ窓が開閉式になっていたのは当初は急行電車で計画されていたからでした。 何故、それが特急になったのか・・・それは当時の国鉄の財政状況にありました。 毎年1兆円近くの赤字を計上し、国からも6000億からの補てんを受けていたわけで、何とか増収にということで、営業サイドからの強い要望があったそうです。 急行形電車の標準仕様として計画していたけれど結果的に特急として・・・と言うことになったため設備的にはすでに評判は悪いとはいえ簡易リクライニングシートが当たり前になっていたのに、普通列車と兼用と言う理由?を付けて転換クロスシートになったのですから・・・。 特急利用者としては納得できないですよね。 その後昭和57年(1982年)には、東北・上越新幹線が大宮で暫定開業となったため185系200番台が増備され、リレー号快速として利用されました。
JR化後のリニューアル工事で特急らしく
アコモデーションも中途半端で終わってしまった185系ですが、国鉄でもこれはまずいと思ったのか、国鉄末期に新特急なる名称を誕生させるとともに、営業施策上、B特急料金と言う今までの特急料金よりも安い特急料金を設定されます。 国鉄としても、185系で特急は厳しいと思ったのでしょうか。 さて、その後も185系は特急電車としては乗降口のドアが広い反面、転換クロスシートはやはり特急電車としては見劣りするため、JR化以降、シートの交換が行われています。 転換クロスシート→リクライニングシートへの変更であり、これで名実ともに特急電車らしくなったと言えましょう。 結局、大きなドアが汎用性を高めることとなり、「臨時列車ながら」に充当される等に充当されたのはご存じのとおりです。
185系の兄弟車がある?
185系電車には兄弟車ともいえる電車があります。

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それは、117系電車と呼ばれる電車です。 関西並びに名古屋地区にだけ投入された電車で、当初は関西だけの限定だったのですが、JR東海の初代社長であった須田氏が中京地区にも117系を導入して欲しいということで実現したもので、例外的に中京地区にも117系が投入されました。
関西地区に投入された117系は室内の内装が艶消しのマホガニー調であったのに対し、名古屋地区のものは艶ありタイプであるなど、若干異なっていました。 最高速度や、部品などもほぼ共通であり西の117系が関東圏では185系として特急で使われているとファンの間では話題になったものでした。